55歳!! 現役大学院生の日誌

55歳現役大学院生(教育学系・博士課程)の日々のつぶやき

自分が求める「要領の良さ」とは

 先日 facebookにて、自分の中途半端さを嘆く文章を投稿した。メンタルの調子が落ちていて、眠れずに、思いついたことをそのまま投稿してしまった。先輩方が心配してくださって、激励のコメントをくださった。とてもありがたかった。自分のしんどさを公開することは、誰かに重荷を背負わせてしまうことになってしまうので申し訳ない……と改めて思う。先輩方はわたしのしんどさに自分の気持ちを重ねて、その上で励ましてくださった。そんなひとたちと同じ研究コミュニティに居られることに安心する。

 その文章の中で「頭の良さは要領の良さである」……ということを書いた。このことは、フィールド調査で子どもたちを観察して気づいたことであるし、若い院生と私の研究の道筋を比べてみて気づいたことでもある。この「要領の良さ」とは、研究の筋道がシンプルで整っていることと同義でもある。学力のきびしい子どもは、机の上や引き出しの中が片づいていなくてぐちゃぐちゃであることが多い。教員時代の同僚でも、仕事がはかどらないひとの机の上は常に物であふれてぐちゃぐちゃだった。私も片づけられない族の一員であるが、ある講演を依頼されて内容を吟味していたとき、問いと先行研究と仮説と実践例とがスコーンとつながって結論まで導き出せた。その時は目の前が明るくなったようで快感だった。昔から言われる Simple is best という文言の意味は深い。

 大学時代に某ファーストフードチェーンでほぼ4年間バイトした。その時にたたき込まれたことは、「二つのことを同時にできる努力をせよ」と「今しているいくつかのミッションのプライオリティを常に考えながら動け」ということだった。それで教員時代も「二つのことを同時にやる意識」がふつうになっていた。40歳で同和加配兼研究主任をしているときには、三つ四つの仕事を並行してやっているのが当たり前だった。しかし、シンプルに「ひとつのことをやり、それが終わって次のことをやる」ことの方が精神的にも負荷が少なくてすむ……ということには退職まで気づかなかった。……というか、「そんなん怠けやん」と本音のところでは思っていた。

 シンプルさに違和感を持ってきたことは、教員時代、シンプルに自分の仕事を優先してやってきた人たちが結局業績を残してきたことにも由来する。学校が荒れているのにもかかわらず、自分の都合を優先して1年間教育センターで長期研修をする奴、同学年が事細かに授業準備をした授業に乗っかって、実践論文を書く奴。……そういう人が結局のところ管理職や指導主事になっていった。子どもの実態、職員の実態、学校が求められているミッション、それらを総合的に勘案して、職場全体のバランスを考えながら仕事してきた人は、形ある業績を残していないことが多い。

 私の尊敬する先輩は後者である。彼は形としての業績は残せていないかもしれないけれど、子どもや保護者の絶大な信頼を30年以上も得てきた。私も今でもその先輩にはいろいろ相談できる。この先輩の実践の核は「子どものため」。ある意味これもシンプルである。

 私の教員時代の座右の銘は「同推はアゴは上手やけど授業はヘタ」と巷で言われてきた言葉だった。同和教育を進める教員は理屈ばっかりで授業はヘタだと、私たちは揶揄されてきた。そんな声に対して、私たちは同和教育で培った「子どものことを生活ぐるみで繊細に捉える力」こそが授業作りの肝になる、と考え続けた。教材研究と子ども理解、「わかる授業」と「ケアする教育活動」、その両輪が私の実践を貫く肝であった。

 ただ、この両輪を両立させることは、シンプルにはいかなかった。私も自分に高いハードルを課した。精神的な負荷も大きかったと思う。精神的にしんどい時は、「まず、ひとつずつ終わらせる」シンプルさを意識することが生きる知恵なんだと思う。

 院生になって感じている中途半端さは、今の自分のミッションが整理されていない感覚なのだ。ひとつひとつのミッションをひとつひとつ終わらせていく。そして自分の目の前を見通しのよいものにしていく。見通しがよくなると余計なことをあまり考えなくてすむ……自分の目標、自分の研究の意義、自分の問い、自分の調査……それをできるだけシンプルにまとめていくこと。それが院生としての「要領の良さ」かな、と思う。

 独善的ではない、利己的でもない、自己実現と社会貢献のためのシンプルさをめざしたい。

 

 

私が感じる「差別」について

昨日付のYAHOOのニュースで気になったこと。

コピペします。

【復興の道標・ゆがみの構図1】被災地、無意識に差別 生の声聞き実情知る

福島民友新聞 2月15日(月)15時16分配信

 

 「つらくて、本が開けません」。絵本作家松本春野(31)=東京都=は、自作に寄せられた県民からの声にはっとした。2012(平成24)年に出版された「ふくしまからきた子」(岩崎書店)への感想だ。「何がいけなかったの?」。その時は分からなかった。  

松本は、子どもの水彩画で知られる絵本画家いわさきちひろ(本名松本知弘(ちひろ)、1918~74年)の孫だ。東京電力福島第1原発事故後、放射線の不安で本県の子どもが外遊びを制限されていると知った。「絵本作家としてできることをしたい」。その夏から県内で取材を始めた。

 「ふくしまからきた子」は、本県から広島市に「母子避難」した「まや」が「ことしのなつはプールにもはいれなかった うんどうかいもなくなった」と語る。子どもに向けた「反核」のメッセージも込めた。「本当に福島で暮らして大丈夫なのか」との思いがあった。

 作品に対する批判的な声を踏まえ、県内で取材を続けた。学校関係者が線量を測った上で議論を重ね、プールや外遊びの再開にこぎ着けていった経緯を知った。「私が疑問に思うことは全て、現地の人はとっくに疑い、対策を議論していた。そんな当然のことが分からなかったのは『真実を知っているのは自分の方』とのおごりが無意識にあったからかもしれない」  

 個々の事情を理解せず、福島を被災地として象徴化しようとしていたことに気付いた。

 続編に描いた笑顔  「まやちゃん、おかえり」。昨年2月、続編「ふくしまからきた子 そつぎょう」を出版した。まやが避難先から本県に戻り、同級生に迎えられるシーンで物語は終わる。はじけるような笑顔をちりばめた。

 昨年3月には、東京で開かれた反原発運動の集会でスピーチに立った。「私たちはもっと、福島に暮らす人々の声から学ぶべきなのではないでしょうか」

 原発事故から4年10カ月。「『政府の安全PR』に加担させられている、かわいそうな福島の子どもたち」などと単純化された外部からの視点が、県民を傷付けてきた。

 (中略)

 ◇ ◇ ◇

 原発事故後、本県が実態とかけ離れたイメージで語られるケースがある。注目度が高まる丸5年の節目を前に、県外の人の目に映った「福島」を考える。

福島民友新聞

最終更新:2月15日(月)15時16分

 

 いろいろな差別に向き合うとき、私はいつも私の持つ差別意識をとことん問うてきました。そして自分のかたくなな差別の枠組みで、安易に差別が分かったような気持ちにはなるまい、と、いろいろな場面で学んできました。

 松本春野さんの過ちは、「個々の事情を理解せず、福島を被災地として象徴化しようとしていたこと」でした。だから、反原発の集会で松本さんは、「私たちはもっと、福島に暮らす人々の声から学ぶべきなのではないでしょうか」という前に、「私自身が、自分のステレオタイプな被災地観により、福島の人たちのさまざまな声が聞こえなくなっていた」ことをまず報告すべきだったと思います。これは新聞記事なので、松本さんの真意がすべて伝えられていないのかも知れませんが。

 私は、被差別の状態で生きる人たちの思いや、その中で他の人たちとどう生きていくのか、といった知恵に学ぼうと思います。とても驕った表現をしますが、私は、「差別はいけません!!」と、全体をくくった高飛車な位置から訴えるのではなく、被差別を生きる思いにふれたことでの、私の気づきを語っていきたい。松本さんが自ら気づかれた「福島を被災地として象徴化しようとしていたこと」というような、すべてを抽象的な「被災地差別」でくくってしまうような「要約の暴力」に陥らないようにしたい。それは、被差別の立場にある人たちから誠実に学び自分の思いを返していくいとなみの中で少しずつ紡がれていくことだと思っています。私が今かかわっているムラの人たちは、ふだんの会話で、自分の背中で、そのことを私に教えてくださっています。

……「私は父からすごく大切に育てられてきた。でも私がムラ出身だと言うことで、私の結婚に支障が出るのなら、それは、父の私への愛情をも丸ごと否定することになるのではないですか」……

 私はこういう声を心ごと聴いて、そして私自身の思いを深めてきました。それは、「差別をしない」ではなくて、「差別なんて、とてもできない」という身体をつくっていく……という日々のいとなみを続けてきました。しんどい思いをしている人の思いに誠実に耳を傾けること……「傾聴」することが、私はひととひととが生きていく上での基本だと思っています。

 

 

 

SNSデビュー

今日からブログをはじめ、twitterFacebook…を始めました。

今までは興味はあったけれど、自分とは関係ないと思っていたし、

書き込んだことが誰に見られるか解らないので、こわい……と思っていました。

今でもその気持ちは変わりませんが。

「やってみよう」と思ったのは、

「こわい」以上に、「知り合いを増やしたい」と思ったからです。

福岡・田川というちっちゃい町で、仲間内で人権同和教育の話をするだけじゃなくて、

もっとたくさんの人と考えを交流させて学ぼうと思いました。

私は今、大阪大学にいます。

大阪に来て、ほんとによかった。

地元大阪だけでなく、兵庫、福井、香川、京都……と親しくさせて頂く機会があり、

自分の視野が広がりました。

 

現代は、地域コミュニティが崩壊して、

ヴァーチャル・コミュニティの時代だと言われるので、

田川で、「教育コミュニティ」が創られていくのをずっと見てきた者として、

「教育を通したコミュニティづくり」はとってもいいよ、

まだまだ地域コミュニティも崩壊してないよ……と思っていますが、

いっちょ、SNSも体験してみよう……とも思いました。

体験してみて、びっくりしました。

「友だち」……ということで、

知らない人の名前がたくさん出てくるから。

 

でも、Facebookって、

なんであんなに、自撮りとか、自分の暮らしをさらす人が多いんでしょうかね、

1960年生まれの私としては、

自分のことは必要以上にさらさない、さらすことははしたない……なんて思ってきました。

でも、地域や身近なコミュニティでは、

しんどい思いも聴いてもらいます。

でも、誰に見られているか解らない、広く浅いコミュニティでは、

それはムリですね。

 

でも、SNS体験をしてみて、広くて浅いコミュニティも「まぁ、ありかな」と思いました。

私としては、広く浅いコミュニティも

狭くて深いコミュニティもどちらも必要かな、と思います。

私を支えてくれているのは、今も、狭くて深いコミュニティですが。

 

 

 

55歳の現役大学院生です。はじめまして。

55歳の現役大学院生(教育学系・博士課程)です。50歳まで小学校の教員をしていました。いろいろあって退職し(この「いろいろ…」についてはまた別の日に…)、某国立大学大学院の社会人特別入試を受験して大学院に入りました。博士課程に進学するときには、一般入試を受けなければならず、大変苦労しました。一度失敗しましたが、昨年、何とか合格し、今に至っています。よろしくお願いします。